革命的労働者党建設の原則は、〈行動委員会運動の中からの党〉であり、その実現方法は、〈全国的に組織された分派闘争〉である。(革労協テーゼ)

行動委員会と分派闘争

@ 我々は、歴史的転換点をなす日韓・反合闘争を闘い抜くなかで、同時に、将来の革命の現在的な準備を推し進めなければならないという結合した意志をもって出発した。我々の組織路線は分派組織と行動委員会の形成を両軸にしている。古い既成党の分派闘争を通じて革命的労働者党の実現へと向うべく出発した社青同解放派は、当初から行動委員会を欠くことのできない任務とした。
 “分派闘争”と“行動委員会運動”は、帝国主義段階、特に国家独占資本主義の下での党と労働組合についての基本戦術でなければならない。党と労働組合は、労働者階級の組織化における二つの基本形態である。労働組合が個々の資本家の絶え間ない直接的侵害に対抗する部分的団結の拡大であるとすれば、党は労働者階級が、階級として、従って政治的に行動するための組織であり、労働組合が資本に対する労働者の不断の防波堤であるとともに、階級としての闘争の条件となる予備的組織化としての意義をもつものに対して、党は支配階級に対抗するために、労働組合を階級として秩序づける統一者としての意義をもち、こうして党と労働組合は相互に浸透し、一体としての労働者階級の組織化とならなければならぬ。
 だが特に国家独占資本主義のもとでは、一方では党の政治的性格と組合の経済的性格の相互作用が不可分の合成として際立つとともに、他方、ブルジョア的秩序づけ(いろいろな支配的見解の色合いをもつ)と労働者階級的秩序づけの矛盾を孕んで党も組合も労働官僚と労働者階級の大衆との対立が深化する。党も組合も、労働者運動の原則と矛盾する官僚主義的中央集権、つまり、労働者大衆の自立に敵対する官僚支配の歴史的傾向を強める。この労働官僚と労働者大衆との対立は、あるいは党と組合への不信という形などで隠然と、あるいは深刻な闘争の裏切りという形などで公然と、進行する。歴史上発生した「工場委員会(行動委員会、統制委員会)運動」は、組合の機能――職能別等――の問題よりも前にこの対立の衝動から把えなければならぬ。この運動そのものの内部にこの対立が現われていることは、産業合理化と経営協議会をめぐる工場委員会の対立した態度にも示されている。
 だから、労働組合と党に於ける労働官僚と労働者階級の大衆との対立を闘い抜くためには、階級闘争の成熟のためには、党と組合の相互作用の公然たる合成を、諸々の要素のばらばらとなった古い状態に引き戻すことではなくて、党と組合のもとでの労働者大衆を、“諸個人の自立=階級の独立”として実現していかなければならない。そういう階級的自立の過程を闘い抜くものとして、党における“分派闘争”と労働組合における“行動委員会運動”が、歴史的必然によって生みだされた自由な行為である。こうした“分派闘争”と“行動委員会運動”とその相互作用とから、ただちにみなければならぬことは、この道が厳格な原則的戦術として確立されなければならぬと同時に、その基本的性格(※参照)が、労働者階級の大衆と官僚の対立のいろいろな様相を受けて極めて多様な形態をとらなければならぬこと、特に不断に様々な起伏をもって展開する労働組合運動の内部の行動委員会は、党ではない社会的政治的な“行動と討論”の「大衆的な活動家組織」として、闘争の具体的な性格とは、場所に応じて異なった形態をとらなければならず、むしろ形態の固定とともに一面化して生命力を失うに至らざるを得なくなる。

【※】
〔補〕ストライキ委員会はどういう基本的性格を持たねばならないか?
 ストライキ委員会は“行動委員会”の現在に於る形態である。
@ 帝国主義段階の特に国家独占資本主義的展開のもとでの労働組合(ことに全国的なそれ)は、その組合の権力が労働者大衆からますます疎遠に浮かび上り、中央集権は官僚主義的に労働官僚が肥大し、下部労働者大衆の要求、職場の要求を生き生きと汲み上げることができず、労働者大衆は自分で自分の要求をになって闘うというよりは官僚に委託し、官僚はそのため資本家「当局」の要求を上手に労働者大衆にのみ込ませるものになりつつあり、合理化に苦しむ下部労働者の無数の要求は、行く手を閉ざされて組合不信となったりしており、いまや労働組合を労働者大衆の手に奪還するべく闘かわなければならぬこと。
A そのためには“三権の職場への奪還”が必要となっており、最盛時の三池はそうであった(後にまた総評、炭労の非難を受けながら修正)。全逓での組合費一元化は、三権を一層強力に組合中央の官僚の手に獲得しようとするものである。東水、都職等でも殆んど交渉が中央へ集中し、職場の組合機関は、その伝達の他にやる権限はないといった状態の所が多く、東交闘争の勝利にとってもこの三権の職場への奪還は不可欠の意義をもっている。
B この労働組合を労働者大衆の手に奪還するためには、労働者・大衆が自分の要求を労働官僚に委託せず、自分で闘うための闘争組織を、労働組合の公式の機関とは別に、打ちたてて闘わなければならぬこと。これが“行動委員会”であり、それは、労働組合を直接に否定するものではなくて、それを大衆の手にまずもって奪還しつつ闘う組織であり、従って、それは党的な原則綱領のもとへの結集体ではなく、あくまでも行動方針、行動協定だけで結集した、広範な労働者・大衆の闘争組織でなければならない。どんなに意識の高い人が参加していても、組織として原則綱領をかかげることは原則的に間違いである。
 すでに多くの組合内に多様な形態で、この種の組織の萌芽がある。これを意識的に推進しなければならない。この“行動委員会”の闘争を通じて官僚主義的な中央集権が破壊される程度に応じて、労働官僚は追放されていく。“行動委員会”と“工場委員会”との相違がいわれる。“工場委員会”は、歴史上くり返しヨーロッパに現われた。ヨーロッパでは一つの工場が多くの職能別組合に分かれており、その分断を越えて結集した“工場委員会”は、日本の企業別組合と同じだといわれて“工場委員会”の可能性はないと考えられたりする。しかしこの二つは、形式上似ているにしても、内容は異なり、前者は大衆的な社会的政治的運動の闘争組織であった。行動委員会は、工場委員会がはらんだ内容を鋭く表現した闘争組織である。
C この“行動委員会”は、職場で、企業組合で、産別で、全国で、ストライキが必要となるときはストライキ委員会へと発展し、またその闘争期が過ぎれば一層鍛えられた“行動委員会”として定着しなければならない。特に組合が、どんな問題ででも、ストライキを提案したら、そのストライキを組合機関にただまかせたりせず、われわれはいつも、大衆的なストライキ委員会を組織して闘うようにする必要がある。
D こうしたあらゆる闘争によって鍛えられてゆくストライキ委員会運動、行動委員会運動(組織する闘いも一つの相対的に独自な運動である)を通じて労働者階級の権力の大衆的な基礎が育ってゆくこと。
(『十月を頂点に日韓批准阻止・反合理化の一大階級闘争をいかに押しあげるべきか』/『著作集第一巻』)

 従って「行動委員会」は、すでにふれた基本的性格を確信した多様な形態の組織の態様、またはその形態の原則的性格を指示する呼称(もちろん必要に応じて実際にこの名称を掲げても構わないが)であり、この原則的性格をもつ限り、この組織の実現する過程を反映して「……会議」「……研究会」「……闘争委員会」「……ストライキ委員会」等々であり、また形態はその場限りで消えて、他の形態に移ったりする。だから※〔補〕も、「ストライキ委員会は“行動委員会”の現在に於る形態である」といい別個に形態的区別をしないよう注意してきた。行動委員会はその性格からしてただ「活動家組織」なのではなく可能限りの徹底的な「大衆的な活動家組織」であり、またどんなに組合に圧倒的な数を結集しても、自律的で能動的な人たちの結集としてやはり、「大衆的な活動家組織」であり、闘争と組合の状況に応じて数は多かったり少なかったりするが、行動委員会の原則的性格にその限りでの(しかしその原則を直接に組織のテーゼにしない)行動目的のもとへの結集体である。それぞれの行動の必要とする形態で現われては消えることができるが、それで組織そのものが消えるのではなく形態を変えながら永続し訓練を蓄積してゆくことにこそ、党とは異なったこういう闘争組織の生命があり、そういうものとしてのみこれは生きた行動委員会として直接の革命期の前から存続し発展しプロレタリア権力の創造を促進するものでありうる。
 だからまた、この行動委員会を発生させ形成する形態、接近する形態はいろいろあり、その一つを固定させてこれだけが起点だとすることはできない。それは恒常的な組織からも、“学習”や“生活福祉”や“文化交流”の、あるいは思想闘争・経済闘争・政治闘争の諸領域からも、あるいは地区単位や産別単位の組織からも、また「闘う学習会」や「反戦青年委」からも、発生したり接近したりすることができる。ただ忘れてはならぬのは、これらのものの多くは、行動委員会を実現した後も、別個に並存して存続していかなければならぬということである。また「闘う学習会」も、行動委員会を成立せしめても、やはり並存して存続していかなければならぬということである。地区反戦等は行動委員会を大きく促進してもそれに解消することは許されないように。ただ特別に注意されるべきは“学習”がもつ、その他の活動と単に並列されるべき性格のものではない特別な性格である。闘争と結びつけられた学習とは、階級闘争の三領域、すなわち思想闘争、経済闘争、政治闘争そのものではないが(このことが行動委員会と「闘う学習会」とを区別しなければならぬ理由だが)、この三領域を貫く共通な条件だということ、そういう意味で階級闘争を強力に促進する槓杆だということである。

((第二回総会議案「日韓闘争とその諸結果 W」一九六六年二月/『著作集第一巻』)


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